社長のブログ

2022/10/05 14:48

これ以上は無い秋晴れのつくば山麓を訪ねてまいりました。今年の春のこと、以前茶業中央会の仕事でお世話になった方から連絡が入り、「つくばの古い民家から茶壷が見つかり、その壺に宇治木幡と書かれているのですが、何かご存じないですか?宇治木幡というと松北園さんしか思い浮かびませんので」とのことで、早速写真を拝見するとそこには過日からのブログにも書かせていただいている「ヤマカ」の文字が。江戸時代に茶壷でお茶を流通していたという話は聞いていても、それはあくまでも伝聞であるか、壺そのものであって、流通していた形では目にしたことがありません。

直ぐにでも訪れたかったのですが、10月も終わりになってやっとお邪魔することができました。当日はご覧の通りの素晴らしい快晴。つくばと言うと、学園都市の開発されたイメージしかありませんが、車で15分程走ったつくば山麓はもうそれは自然の真っただ中。民家横を歩いていたキジの雄の美しい姿には感動しました。(写真撮れませんでした(T_T)

さて、そのお宅が有るのはつくば山麓の六所地区。関東のつくば山信仰を集めるつくば神社は有名ですが、この六所地区には六所神社という非常に有力な神社が有ったそうです。明治時代に廃社となってしまい、現在は写真の通り、鳥居と社跡が残るのみですが、当時この地区には14軒の家が有り、その皆が神社の仕事をするお家であったそうです。

壺が保存されていたお宅はご覧の通りの立派な門構えの旧家で、当時は六所神社の物資の調達の仕事をしておいでで、蔵にあったこの壺はその名残であろうとのことでした。


早速、壺を拝見させて頂くと大きく「ヤマカ」のマークとその下には「松尾」と有ります。以前のブログでも記述の通り、そもそも松北園とは木幡の松尾一族の北家の茶園、という意味が由来です。まさに松北園の茶壷。そしてさらに細部を見せて頂くと壺の口の部分には何重にも和紙が重なっています。これは蓋を封印した紙を切り、またその上から封印をするということを繰り返した証。つまりこの茶壷は宇治とつくばを通っていたということが推察されるのです。また、茶壷での流通は明治以前と聞いておりますし、また六所神社の廃社の時期などから推察しても新しくとも明治の中頃、ひょっとしたら江戸時代後期の流通ではないかと推察しました。

この様な古い価値ある資料がそのままの形で見つかったことにも感動をしましたが、それ以上に100年以上前の茶と人の往来、そしてそれが又、100年以上の年月を経てこの様な形で交流させて頂けるお茶、そして何よりも人の素晴らしさを感じた一日。

壺の所有者であるM様、そして「結」びつけて頂いたN様、誠にありがとうございました。

※2011年11月2日分再掲載