社長のブログ

2022/09/15 14:48

氷点下まで冷え込んだ今朝は、この朝一番の冷え込みに感じました。愛犬と連れ立っていつものコースを廻り、向島から隠元橋までやって来ると、木幡側に渡ったところにある碑が目に飛び込んできました。以前からそこに有ったのですが、道に反対側を歩いていて近寄ったことが有りませんでした。


近寄ってみると、2つの碑が有ります。ひとつはこの地「岡屋」についての説明です。


木幡が近衛家の領地として栄えたことは何度が記していますが、この岡屋は巨椋池(おぐらいけ:淀川水系が合流して形成していた沼地、水運の要地として栄えた、干拓により消失。木幡池はその名残)の港、岡屋の津として栄えたことが記されています。


もう一方は隠元橋の名の由来ともなった黄檗山萬福寺の開祖、隠元禅師が寺の候補地を船で探した折に、この岡屋の津の近くで現在の黄檗山の辺りから2羽の鶴が飛び立つのを観て、この地に決めて上陸されたとの逸話を伝える碑です。よって、碑の袂には2羽の鶴と禅師の出身地である中国の伝統古式に因んで亀趺があしらわれているそうです。以前から車で信号待ちをするたびに「何だろう?」と思っていた謎が解けました。

「山門を出れば日本ぞ茶摘唄」という田上菊舎による歌碑が黄檗山萬福寺に立っています。中国様式の禅寺の山門を出た木幡の地に広がる日本の風景の典型として茶摘みの風景が歌われたわけです。その木幡と黄檗山の接点ともいうべき岡屋の地に隠元橋は有ります。

※2010年12月25日分再掲載