2022/09/15 14:32
今朝の愛犬との散歩は「木幡」を出発して「六地蔵」で「山科川」を横切り「桃山」を登って「伏見 御香宮」に降りて、「観月橋」を「向島」に渡って「宇治川」を登り、「隠元橋」で「岡屋」に渡って、そこからまた「宇治川沿い」に木幡まで歩いて、最後に「木幡池」のぐるりを廻って自宅へと戻る約11キロのコース。写真からもわかるように木幡池のぐるりにはマンションが何棟も建ち並びベッドタウンとなっています。
さて、「かっこ」で括った言葉の内、水に関連する言葉の多いことに気付きました。「川」「名水で有名な神社」「島」「川」「池」。向島は木幡の向いだから島なのか?でも木幡池の反対側はやはり木幡なのです。
さて、「かっこ」で括った言葉の内、水に関連する言葉の多いことに気付きました。「川」「名水で有名な神社」「島」「川」「池」。向島は木幡の向いだから島なのか?でも木幡池の反対側はやはり木幡なのです。
これは古い地図ですが、中心に広がる広大な「池」は「巨椋江おぐらえ」、ここに山科川、加茂川、木津川、宇治川などが流れこんでいました。その河川を利用して水運が発達し、有名な「伏見の港」などが築かれました。木幡は地図の右上の方、「墨字の池」の字の真下あたり、山科川の流れこんでいる辺りで、よく見ると「向島」が有ります。その更に下方にあるのは「槇島」です。これらの河川は度々氾濫し、水害に襲われましたので、秀吉が「太閤堤」を築いたりして順次干拓が行われ、今では池は無くなり、その残存として「木幡池」の様な小池が分散しています。また、「向島」「槙島」のような地名に島が残っていることもその名残りですね。
京の都を出て奈良に向かう奈良街道は必然的に巨椋池の淵を通り、その途中に別荘地宇治が発達し、木幡もその一部、近衛藤原家の領地として栄えました。街道を通る兵士達に略奪されないようにと考えた作物が野菜などではなく茶であったこと、水運にも恵まれたこと、どれもこれも今日の宇治茶の礎となったことは間違いありません。
*地図は近畿農政局発行のパンフレットより流用しました
京の都を出て奈良に向かう奈良街道は必然的に巨椋池の淵を通り、その途中に別荘地宇治が発達し、木幡もその一部、近衛藤原家の領地として栄えました。街道を通る兵士達に略奪されないようにと考えた作物が野菜などではなく茶であったこと、水運にも恵まれたこと、どれもこれも今日の宇治茶の礎となったことは間違いありません。
*地図は近畿農政局発行のパンフレットより流用しました
※2010年12月4日分再掲載